「さる屋」はオアハカでなんもないところから
ゼロから自営業として仕事を立ち上げ
、
いまでは日々ご飯が食べれて、生活費も捻出できて
ペットとの生活も趣味にお金も使える余裕も出てきました。
で!!ここまで10年かかっています。
とは、いえ、まだまだ
持ち家ではないですし、自家用車も持ってはいません。
9年目までは、それはもう節約の日々?というか
仕事ばっかりしていた気がします。
「仕事をしないと、ご飯食べれない!」ってwww
きっと、こうやってオアハカで自営業としてやっていけるのは
本当にラッキーだったと思うんですけど。
もちろん、棚ぼた式に幸運が舞い込んだわけではなく
あらゆる可能性にチャレンジして、
どんなちっちゃな可能性でも
ダメ元で色々なことにチャレンジして、手探りでやって来て
その結果、勝ち取った結果だと思います。
オアハカに来た当時の自分には、後がなかったですから。
メキシコに住めなくなると、実家が日本にあると言うだけ。
長く住んでいた東京も、家もない、仕事もない、保険も解約
前に進むしかないという状況を自分に課せて腹をくくったわけです。
色々とね、自分の人生に保険をかけていては
冒険も好きな事もできないですよ。(個人的意見)
そして、新天地開拓とか無理だと思う。
なにかに頼れるものがあれると、
人間甘えてしまうのではないでしょうか?
あと、甘えの延長と考えるのは、計画性のない
「一緒に事業を立ち上げよう!何かしましょう!」という誘い。
一見、自分の後見人、後ろ建てができて楽にみえるけど。
途中の裏切りほど、恐ろしいものはないと勝手に思ってます。
大体、人の力とかお金で一人で出来ない事を海外で立ち上げて
失敗したら誰が助けてくれるの???
一緒にやっていたけど、相手の都合でもう続けられないって
なったらどうする??
まずは、自分の力でできる範囲でやってみる事だと思うんです。
自分で運営できる力が出来てから人を雇うのでも遅くはないでしょ?
貯金を切り崩さないとダメだった来た当時は、
1日の生活費30ペソ!w
30ペソ×7日間=210ペソで1週間の食料品を買い
ご飯を作り置きしました。
20代の一人暮らしとなんら変わらないオアハカ生活www。
ビールやワインが飲めるようになったのは
ボチボチ仕事が定着してきた、2年後くらいw
庭にはえてたオレンジとか、マラク-ジャとか
チャジョーテとか良くお世話になりましたw
夜遊びはしません。
飲食料の他に、帰りのタクシー代とかかかりますからね。
昼はセントロまで歩いて(約20分)バス代節約です。
初めに住んでいた場所は台所共同で、
各部屋にシャワー&トイレ家具付き。
当時の家賃 月=1500ペソ。
単身でメキシコにきている外国人もたくさんいて。
毎回、夜遊びに誘ってもらったんですけど、ことごとく
断りつづけたら、2か月くらいしたら、
もう誰も声をかけてくれなくなったwww
Yokoは絶対夜遊びに行かない説が流れましたw。
いや、その方が楽でよかったんですけどね。
仕事が安定するまでは
ティアンギスで、トレンサ編んだり、
日本語で名前書きますとか
日本語教えますとか、イベントで日本食を売ったりとか。
グラフィックソフトでカンタンな宣伝チラシ作りますとか。
副業もいっぱいしましたw。
ぶっちゃけ、日本と違ってメキシコでは路上でも広場でも
日銭を稼ぐことは簡単だと思います。
問題はビザなんですよね~~~。
就労ビザもらうまで、20回以上、移民局へ行きました。
弁護士はつけない。自分で全部やる!
これは、当時オアハカにいらっしゃった日本人画家の方の
「弁護士やとっても、
必要な日本の書類は全部自分でそろえないといけないからね~。
弁護士は、cartaまとめて、提出するだけだから
自分でやった方がいいよ。」
というアドバイスに従いました。
就労ビザを出してもらって、毎年4年間。
SATに税金を納めに行って、
ビザの申請手続きもすべて自分でやりました。
まぁ、つたないスペイン語を
友達とかに手直ししてもらったりもしましたけど。
あと、担当者に質問すれば、cartaの書き方とかちゃんと
紙にかいてくれた、
親切な移民局担当者がオアハカには多かったです。
5年目に永住ビザに切り替えのチャンスがきて
いままで、ちゃんと提出していた税金の書類とか
活動ないようの書類とか、
かなりスムーズにビザを出してもらえたんです。
4年間ちゃんとやってきたご褒美だったと思います。
この時ほど、報われた!!!と実感したことはなかったです。
自分でご飯を食べて行かないとダメなので、
やれることはとことんやらないとダメだったし。
朝とか夜とか(特に日本と時差もあり)、仕事で失敗しても
個人でやっている限り、尻ぬぐいをしてくれる人はいませんからね。
ベストを尽くすしかないですよ。
それが、良い結果になるか、悪い結果になるかはまた別として。
とにかく、信念と諦めない気持ちと熱意が一番大事です。
でも、そこまで頑張れたのも、
自分の住みたい場所がはっきりしていたからだと思います。
メキシコならどこでもいい訳ではなく、
オアハカ!!絶対オアハカ!!
だから頑張れたと思います。
あと、最近巷で言われている、
ブラック企業、ホワイト企業ってなんですか?
雇われている側にも苦労は絶えないと思いますが。
自論としては、
人に使われるのが一番楽で
人を使うのが一番難しい。
更には、自営業でやっていくとなると
時には昼夜関係なく働くことも
プライベートなしのブラック企業なみに働く時もあります。
そこで、踏ん張らないと
ご飯食いッパぐれますからねwww
自分で判断しないといけない事も多いし、
考えないといけない事も多いです。
だれの、指示もアドバイスもないですよ。
全て自己責任と自己管理。
仕事も2つも3つも掛け持ちですw。
でも、頑張れたのは
自分がやりたい事がはっきりしていたからだと思います。
今日こうして、長文ブログがかけているのは。
実はいま、仕事が薄くて暇っていう時期なんです。(い、痛い!)
教職員組合の影響もあるし、
秋・冬は民芸品があまり動かないので。
でも、2006年の教職員組合のストライキ、暴動が起ったり、
新型インフルエンザで
メキシコ&オアハカから観光客がいなくなったり。
厳しい状況はいままで何度かありましたけど。
その都度、乗り越えてきたので、
今回も乗り越えられる自信はあります。
さて、8月ももうすぐ終わるので、9月に向かってがんばります。
人の可能性は無限です。
でも、思っているだけ、言葉だけじゃ何事も実現しません。
実際に行動を起こすことが大切だと思います。
今回は、オアハカ苦労人自慢話しとなり、失礼しました。
(ある意味、自分に喝をいれるとか、気合いを入れるために思い出してみました)
そして、最後まで読んでいただきありがとうございました。
ゼロから自営業として仕事を立ち上げ
、
いまでは日々ご飯が食べれて、生活費も捻出できて
ペットとの生活も趣味にお金も使える余裕も出てきました。
で!!ここまで10年かかっています。
とは、いえ、まだまだ
持ち家ではないですし、自家用車も持ってはいません。
9年目までは、それはもう節約の日々?というか
仕事ばっかりしていた気がします。
「仕事をしないと、ご飯食べれない!」ってwww
きっと、こうやってオアハカで自営業としてやっていけるのは
本当にラッキーだったと思うんですけど。
もちろん、棚ぼた式に幸運が舞い込んだわけではなく
あらゆる可能性にチャレンジして、
どんなちっちゃな可能性でも
ダメ元で色々なことにチャレンジして、手探りでやって来て
その結果、勝ち取った結果だと思います。
オアハカに来た当時の自分には、後がなかったですから。
メキシコに住めなくなると、実家が日本にあると言うだけ。
長く住んでいた東京も、家もない、仕事もない、保険も解約
前に進むしかないという状況を自分に課せて腹をくくったわけです。
色々とね、自分の人生に保険をかけていては
冒険も好きな事もできないですよ。(個人的意見)
そして、新天地開拓とか無理だと思う。
なにかに頼れるものがあれると、
人間甘えてしまうのではないでしょうか?
あと、甘えの延長と考えるのは、計画性のない
「一緒に事業を立ち上げよう!何かしましょう!」という誘い。
一見、自分の後見人、後ろ建てができて楽にみえるけど。
途中の裏切りほど、恐ろしいものはないと勝手に思ってます。
大体、人の力とかお金で一人で出来ない事を海外で立ち上げて
失敗したら誰が助けてくれるの???
一緒にやっていたけど、相手の都合でもう続けられないって
なったらどうする??
まずは、自分の力でできる範囲でやってみる事だと思うんです。
自分で運営できる力が出来てから人を雇うのでも遅くはないでしょ?
貯金を切り崩さないとダメだった来た当時は、
1日の生活費30ペソ!w
30ペソ×7日間=210ペソで1週間の食料品を買い
ご飯を作り置きしました。
20代の一人暮らしとなんら変わらないオアハカ生活www。
ビールやワインが飲めるようになったのは
ボチボチ仕事が定着してきた、2年後くらいw
庭にはえてたオレンジとか、マラク-ジャとか
チャジョーテとか良くお世話になりましたw
夜遊びはしません。
飲食料の他に、帰りのタクシー代とかかかりますからね。
昼はセントロまで歩いて(約20分)バス代節約です。
初めに住んでいた場所は台所共同で、
各部屋にシャワー&トイレ家具付き。
当時の家賃 月=1500ペソ。
単身でメキシコにきている外国人もたくさんいて。
毎回、夜遊びに誘ってもらったんですけど、ことごとく
断りつづけたら、2か月くらいしたら、
もう誰も声をかけてくれなくなったwww
Yokoは絶対夜遊びに行かない説が流れましたw。
いや、その方が楽でよかったんですけどね。
仕事が安定するまでは
ティアンギスで、トレンサ編んだり、
日本語で名前書きますとか
日本語教えますとか、イベントで日本食を売ったりとか。
グラフィックソフトでカンタンな宣伝チラシ作りますとか。
副業もいっぱいしましたw。
ぶっちゃけ、日本と違ってメキシコでは路上でも広場でも
日銭を稼ぐことは簡単だと思います。
問題はビザなんですよね~~~。
就労ビザもらうまで、20回以上、移民局へ行きました。
弁護士はつけない。自分で全部やる!
これは、当時オアハカにいらっしゃった日本人画家の方の
「弁護士やとっても、
必要な日本の書類は全部自分でそろえないといけないからね~。
弁護士は、cartaまとめて、提出するだけだから
自分でやった方がいいよ。」
というアドバイスに従いました。
就労ビザを出してもらって、毎年4年間。
SATに税金を納めに行って、
ビザの申請手続きもすべて自分でやりました。
まぁ、つたないスペイン語を
友達とかに手直ししてもらったりもしましたけど。
あと、担当者に質問すれば、cartaの書き方とかちゃんと
紙にかいてくれた、
親切な移民局担当者がオアハカには多かったです。
5年目に永住ビザに切り替えのチャンスがきて
いままで、ちゃんと提出していた税金の書類とか
活動ないようの書類とか、
かなりスムーズにビザを出してもらえたんです。
4年間ちゃんとやってきたご褒美だったと思います。
この時ほど、報われた!!!と実感したことはなかったです。
自分でご飯を食べて行かないとダメなので、
やれることはとことんやらないとダメだったし。
朝とか夜とか(特に日本と時差もあり)、仕事で失敗しても
個人でやっている限り、尻ぬぐいをしてくれる人はいませんからね。
ベストを尽くすしかないですよ。
それが、良い結果になるか、悪い結果になるかはまた別として。
とにかく、信念と諦めない気持ちと熱意が一番大事です。
でも、そこまで頑張れたのも、
自分の住みたい場所がはっきりしていたからだと思います。
メキシコならどこでもいい訳ではなく、
オアハカ!!絶対オアハカ!!
だから頑張れたと思います。
あと、最近巷で言われている、
ブラック企業、ホワイト企業ってなんですか?
雇われている側にも苦労は絶えないと思いますが。
自論としては、
人に使われるのが一番楽で
人を使うのが一番難しい。
更には、自営業でやっていくとなると
時には昼夜関係なく働くことも
プライベートなしのブラック企業なみに働く時もあります。
そこで、踏ん張らないと
ご飯食いッパぐれますからねwww
自分で判断しないといけない事も多いし、
考えないといけない事も多いです。
だれの、指示もアドバイスもないですよ。
全て自己責任と自己管理。
仕事も2つも3つも掛け持ちですw。
でも、頑張れたのは
自分がやりたい事がはっきりしていたからだと思います。
今日こうして、長文ブログがかけているのは。
実はいま、仕事が薄くて暇っていう時期なんです。(い、痛い!)
教職員組合の影響もあるし、
秋・冬は民芸品があまり動かないので。
でも、2006年の教職員組合のストライキ、暴動が起ったり、
新型インフルエンザで
メキシコ&オアハカから観光客がいなくなったり。
厳しい状況はいままで何度かありましたけど。
その都度、乗り越えてきたので、
今回も乗り越えられる自信はあります。
さて、8月ももうすぐ終わるので、9月に向かってがんばります。
人の可能性は無限です。
でも、思っているだけ、言葉だけじゃ何事も実現しません。
実際に行動を起こすことが大切だと思います。
今回は、オアハカ苦労人自慢話しとなり、失礼しました。
(ある意味、自分に喝をいれるとか、気合いを入れるために思い出してみました)
そして、最後まで読んでいただきありがとうございました。