先週の激しいメキシコの数々の洗礼?を乗り越え
元気にやっております。
なんか、帰国後ぐーたらとやる気のない日々を送っていましたが
「あ!これやんないとな!!!っていうかやりたい!」と
当面の目標もできたので、とりあえず現状はいままで撮りためた
ゲラゲッツアの写真を整理中です!9年分あるんだな(笑)
(現時点では地味な作業の連続中ですが)
で、はじめて見に行ったゲラゲッツア2009年。
まだ、屋根もなく青空が美しく、
この時代に光学ズーム60倍カメラ持っていたら
どんな写真が撮れたかなぁと思いを馳せます。
太陽がちゃんとあるから、10年前のコンデジでも
こんなにスカートの動きとかきれいに撮れた!!!
さらに、翌年2010年。
ゲラゲッツアの屋根を建設していたんですが、ゲラ開催日になっても
工事が終わらずに、ゲラゲッツア開催場所が
旧ベニート・フアレスサッカー場になったのでしたw
え~開催日もう前から決まっているのに、
それに間に合わない工事とか
さすがにメヒコだぜ!!!と感心しました。
こんな感じでした。
で、翌年2011年は屋根アリになったんですが。
その後、半年もしないで(たぶん)
屋根の一部が落っこちて、両脇の屋根だけ撤去して。
放置、放置。
翌々年位に再度屋根を全部張りなおしたという…
色々な意味でゲラに歴史あり?
現在は屋根があるので、灼熱の太陽、暑さ、夕方の豪雨から
観客と踊り子さんたちを守ってくれているわけですが
個人的には「やっぱ、屋根いらなくね?」と毎年思います。
静かな写真整理の静の作業と同時に。
事務所の模様替えをしたい。
商品数が増えてきて、
約3m×3mの事務所はものを置く場所がない。
自宅もそうなんだけど、あまり広くもないので
日々生活の動線を考えながら動きやすい空間を考えながら
部屋の配置、模様替えをしないといけんのですね。
がんばります。
※余談・夏の思い出の関係ない話しですが、
夏に実家に行ったときに
まんまし(←地元では飯炊きのことをこういう)のアタシに、
いきなり、サビーナちゃんが
「YOKOは誰に料理を習ったの?おかあさん?」って
聞かれて正直返答に困りましたw
と、いうのは母が料理をしていたのは
幼少の頃から横で見ていた記憶はあるのですが
母から料理をならった記憶がない!!!
あれ???
実家は自営なのである程度の小学校中学年くらいになると
ご飯を作るように家事を任された記憶はあるが。。。
あれ???
料理を母から習ったか?????
あれ??そうだね~~~習ったと思うけど…(しどろもどろ)
…学校の家庭科の授業とか?
テレビの料理番組とか?料理の雑誌?とか??どっちかっていうと
そういう物で料理を覚えた気がする。って答えたら。
え!?そうなの??お母さんからじゃないの???
と少々さみしそうな表情に。
この会話の状況でふとオアハカの作りてさんの話がかぶり。
伝統工芸その他諸々では?その他が親から子へ伝わっている状況を
あたりまえのように伝えてきたけど。
もしかしたら、そうじゃないイレギュラー?な状況も人によって
様々にあるんじゃないか?と思ったわけです。
子供シェフの料理番組にも出演したことのあるサビーナちゃんにしてみたら
おばあちゃんやお母さんから料理を教えてもらったという土台がありますし。
大した話じゃないですが、
まぁ、どの世界にしても人それぞれかもね。と思いました。
ちなみに、朝ご飯で毎日作っていた、目玉焼きですが
淵が白くなってきたくらいの状態で
約おおさじ1の水を入れて、蓋をして蒸し焼きにすると
素晴らしく綺麗な目玉焼きになる。
初日の朝にサビーナちゃんは超ビックリしてました。
「これどうやって作ったの!?完璧な目玉焼き!!!」と
「ふふふ。じゃ、特別に!
でも!!超簡単なtecnica secretaを教えてあげよう!」と
いきなり怪しい人。
あと、玉子で言うと、メキシコと日本の文化の違いで
日本の玉子は生でも、半熟でも食べても問題ないというのが
なんとなく、受け入れづらかったようです。
では!!!
元気にやっております。
なんか、帰国後ぐーたらとやる気のない日々を送っていましたが
「あ!これやんないとな!!!っていうかやりたい!」と
当面の目標もできたので、とりあえず現状はいままで撮りためた
ゲラゲッツアの写真を整理中です!9年分あるんだな(笑)
(現時点では地味な作業の連続中ですが)
で、はじめて見に行ったゲラゲッツア2009年。
まだ、屋根もなく青空が美しく、
この時代に光学ズーム60倍カメラ持っていたら
どんな写真が撮れたかなぁと思いを馳せます。
太陽がちゃんとあるから、10年前のコンデジでも
こんなにスカートの動きとかきれいに撮れた!!!
さらに、翌年2010年。
ゲラゲッツアの屋根を建設していたんですが、ゲラ開催日になっても
工事が終わらずに、ゲラゲッツア開催場所が
旧ベニート・フアレスサッカー場になったのでしたw
え~開催日もう前から決まっているのに、
それに間に合わない工事とか
さすがにメヒコだぜ!!!と感心しました。
こんな感じでした。
で、翌年2011年は屋根アリになったんですが。
その後、半年もしないで(たぶん)
屋根の一部が落っこちて、両脇の屋根だけ撤去して。
放置、放置。
翌々年位に再度屋根を全部張りなおしたという…
色々な意味でゲラに歴史あり?
現在は屋根があるので、灼熱の太陽、暑さ、夕方の豪雨から
観客と踊り子さんたちを守ってくれているわけですが
個人的には「やっぱ、屋根いらなくね?」と毎年思います。
静かな写真整理の静の作業と同時に。
事務所の模様替えをしたい。
商品数が増えてきて、
約3m×3mの事務所はものを置く場所がない。
自宅もそうなんだけど、あまり広くもないので
日々生活の動線を考えながら動きやすい空間を考えながら
部屋の配置、模様替えをしないといけんのですね。
がんばります。
※余談・夏の思い出の関係ない話しですが、
夏に実家に行ったときに
まんまし(←地元では飯炊きのことをこういう)のアタシに、
いきなり、サビーナちゃんが
「YOKOは誰に料理を習ったの?おかあさん?」って
聞かれて正直返答に困りましたw
と、いうのは母が料理をしていたのは
幼少の頃から横で見ていた記憶はあるのですが
母から料理をならった記憶がない!!!
あれ???
実家は自営なのである程度の小学校中学年くらいになると
ご飯を作るように家事を任された記憶はあるが。。。
あれ???
料理を母から習ったか?????
あれ??そうだね~~~習ったと思うけど…(しどろもどろ)
…学校の家庭科の授業とか?
テレビの料理番組とか?料理の雑誌?とか??どっちかっていうと
そういう物で料理を覚えた気がする。って答えたら。
え!?そうなの??お母さんからじゃないの???
と少々さみしそうな表情に。
この会話の状況でふとオアハカの作りてさんの話がかぶり。
伝統工芸その他諸々では?その他が親から子へ伝わっている状況を
あたりまえのように伝えてきたけど。
もしかしたら、そうじゃないイレギュラー?な状況も人によって
様々にあるんじゃないか?と思ったわけです。
子供シェフの料理番組にも出演したことのあるサビーナちゃんにしてみたら
おばあちゃんやお母さんから料理を教えてもらったという土台がありますし。
大した話じゃないですが、
まぁ、どの世界にしても人それぞれかもね。と思いました。
ちなみに、朝ご飯で毎日作っていた、目玉焼きですが
淵が白くなってきたくらいの状態で
約おおさじ1の水を入れて、蓋をして蒸し焼きにすると
素晴らしく綺麗な目玉焼きになる。
初日の朝にサビーナちゃんは超ビックリしてました。
「これどうやって作ったの!?完璧な目玉焼き!!!」と
「ふふふ。じゃ、特別に!
でも!!超簡単なtecnica secretaを教えてあげよう!」と
いきなり怪しい人。
あと、玉子で言うと、メキシコと日本の文化の違いで
日本の玉子は生でも、半熟でも食べても問題ないというのが
なんとなく、受け入れづらかったようです。
では!!!