ここ最近の疑問です!

なんか、世間様に反感買いそうな、
ひと悶着おこそうな内容で書いてしまうかもしれません。

私がここで10数年、先住民族の人と
民芸品の仕事をしているオアハカでの経験から感じたことです。

多分、少数派な考え方だと思います。

まず、はじめに。
さる屋は民芸品の販売は仕事として誇りを持ってやっています。

仕事とは、利益を得る手段でもあり。
良い流れに流れれば社会貢献にもつながるとは思います。

でも、とりあえずの現状は、現地で食っていくため、
生活の糧を得るためのものです。

しかし、中には、先住民族の商品を販売することで
貧しい先住民の生活のサポートを支援しているとか
ボランティア活動に詳しそうだとか、
関わっているよね?って思い込んでいる人がいます。


なぜでしょうか?うちのHPやブログでも
一度もそんな貧乏な先住民族がいるとか
生活支援とかボランティアとか言ってません。


逆に、彼らの仕事の丁寧さ精密さ

自分が現場でみて感動したこと

つく手の背景や歴史が素晴らしいという

ストーリーを紹介して商品販売をしているつもりです。


先住民の手仕事を商品として仕入れて販売しているのです。


私が、商品を仕入れることで、
彼らに利益が出るという流れはボランティアでなくて、

彼らにとっても自分にとっても利益を得るための仕事です。

なんか、巷には。

先住民族の生活は貧しい、大変、苦労している
それを支援したいので、彼らのつくっているものを売って
利益を出して応援したい!というコンセプトや
将来はそのような仕事をしたい!人のためになりたい!と
考えている人がいっぱいいるような気がします。

でも、それって
あなたが本当にやりたいことですか?

人助けっていいことだし、
いいことするならみんな応援してくれるよね?って考えてますか?

貧しくて困っている人の現場を自分の目で実際にみたんですか?

世の中の情報に踊らされてませんか?

その辺が自分にとって疑問を感じます。

人助けは、しないよりしたほうがいいとは思います。が!


商品を売る目的が彼らの生活支援のためだとして。

では、商品購入にお金を出す
お客様は何を基準に購入するのでしょうか?

本当に、いいものでこれ!ほしいと購入するのであれば
リピートは望め、継続することで作っている人も
販売している人も仕事として利益を得ることができますよね?

でも、寄付金のように。
寄付金の代わりに作ったものを購入します!となると
いいものでない場合は、1回の購入で終わると思います。

もっとぶっちゃけ言うと。

彼らが本当に窮地に陥り、
資金的にどうにもならなくなったときに
彼らをどーんと受け止められる土台があなたにありますか?

自分のことでも精いっぱいな人が他の人を助ける事は出来る?
どうなんですかね?

人のために、誰かの力になるなら
まず、自分の土台がしっかりしていないと無理なのでは?と思います。
資金力であったり、経験であったり色々なもののことです。

逆に、今は自分も未熟だが、何十年かかっても
みんなと一緒に成長したいと、最後まで向き合える強さがありますか?
途中で彼らを放棄したりしない強い意志はありますか?

もっとハッキリ言うと。
すでに、自分の仕事(モノづくり)をしている彼らは
あなたが関わっても、その場からいなくなっても

彼らが自分で自分の仕事を放棄しない限り
彼らの仕事はずっと同じことを続けると思います。

彼らの人生や仕事に関しては一介の人物が数年寄り添っても
彼らの生活の流れは変わらないのです。

こちらの現場には確かに、先住民族でも
一般のメキシコ人でも貧困や差別などに苦しんでいる人はいます。

でも、それは、ここだけに限らず、世界のどこでもあることで
日本にもあります。

で、モノを作っている現場を見ると。

同じものを作っていても、生活を維持している人。
成功している人。世界的に知名度もある人と
まったく、仕事がない。生活が苦しい人がいます。

私からみた違いは。

商品をきちんと注文通りに作れるか?納品できるか?
誠実にこなせるか約束を守れるか?仕事に対する姿勢です。

そこができるときないで随分違っているように見えます。

まず、貧しい人に関わり、
その人が作るものを売って支援したいというなら。

依頼した仕事をちゃんと作って納品してもらう、
生産者とどう向き合うか?からのスタートだと思います。

言うのは簡単だけど。
それは、かなり険しい長い道のりの
プロジェクトだと思います。

前に、より貧しい人に仕事を出したい。
支援したいと発注をかけて、
結果まったく注文したものができずに
そのまま、「支援したい」と言っていた人は
その職人さんから去っていきました。

誰のせいなのでしょうか?

誰のせいでもないし、多分この二人の間には
仕事としての関わりという意識より、

外国人が助けてくれる!ラッキー!と依存し。
彼らのために役にたてるなら~とか。
ボランティア的な人を助けるいいことをしたいという
意識のほうが大きかったのでは?と思います。

いや、仕事は仕事なんですよ。

どっちかが、どっちかに依存したり
空気みたいな見えないマウントとったりじゃないんです。

民芸品の作り手さんはオアハカは個々に独立してて
生計を立てている人のほうが多い気がしますが。

もっと南のほうだと、
支援グループとかなんかそんな感じで
活動している人もいますよね?

まえに、聞いた話で目からウロコだったのは。

いいものを作る人。
全然仕事ができない人。に同じものを依頼し
同じ金額を支払うと…

いいものを作る人の気力がそがれてしまうという
話を聞きました。そりゃそうだ!!

アタシだって、同じ立場で
いいものをつくっている自分と

適当に仕事をしている人の賃金が一緒だったら
馬鹿らしくて仕事を放棄するわ。

仕事ができない人は
できなくてもお金がもらえるんだから
最悪、向上心が持てない人はそのままだと思う。



なぜか、平等の扱いの中にも問題がある気がします。



いや、すでに個人の仕事に対する意識とかそんなところから
色々な問題が来ている気がしなくもないです。

また、先住民族は貧しいとか考えている人の多いことに
なぜ?そう思うの?と疑問がつきません。

オアハカ市内で部屋かりて
チマチマ生きているあたしよりずっと色々と豊だと思うわ。

持ち家があって(どんなに質素でも)
食うに困らない家畜や農業があって(贅沢ではないけど)
自分たちの文化や生活習慣を継続している
(傍からみたら近代的でない=貧しいとみえるのか?)
方がよっぽどすごいと思います。

お金はね、
いくらあっても十分ってことはないと思うんです。

人間の欲求や豊に暮らしたいという気持ちには
終わりがないからです。

仕事で、きちんと利益を出し、生活を維持する。
これが、一番重要じゃないかと思います。

色々なボランティア活動の最終目標は

今は、貧しい人達が自分たちで仕事を回し利益を出して
生活水準を上げれるようにするって言っているように思います。

だと、したら

彼らを支援するという名目なら、
本当に根っこの部分から関わるくらい
腹を括って欲しいものです。

また、先住民が貧しいと思う前に、
実際に現地に来て
自分の目でみて判断してほしいです。

本当に、貧しかったら、助けが必要なら
本気で彼らのために何が必要か?
受け止めて、考えてください。

アタシはイメージだけで、
人を貧乏、かわいそうって思う心の方が貧しいと思います。

内容が支離滅裂で本当にすいません。
また、読んで気分を害された人がいましたらごめんなさい。
自分が見てきた経験からの意見ですので、
一概にすべてがそうだとは思いません。

気に入らない場合は、スルーしてくださいね。

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いや、こんなことを言っている自分は
オアハカの大自然の中でしばし、
ぼーっと癒されたほうがいいのかもしれないですw

日本でも癒されるかしら?